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東京地方裁判所 平成3年(合わ)39号 判決

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(被告人の身上経歴等)

被告人は、昭和四四年に中学校を卒業後、電気製品製造工場の組立工、店員、セールスマン、陸上自衛隊員等の職業を転々とした後、昭和五〇年暮れころから札幌市内の暴力団関係者の経営するストリップ劇場で約二か月間働いたが、そのころから覚せい剤の使用を覚えてこれを連用するようになり、昭和五一年九月ころ上京した後も覚せい剤の使用の頻度、使用量がともに増加し、追跡妄想、注察妄想等の覚せい剤中毒の症状を訴えるようになった。そして、被告人は、昭和五六年九月一九日、覚せい剤を連日使用していた上に飲酒した状態で、何ら面識のない女性のアパート居室に乱入して同人を柳刃包丁で刺殺した後、その乳首を切り取るなどの犯行に及び、捜査段階において、「被告人は、被害妄想と誇大妄想及び幻覚等の症状を現していた慢性覚せい剤中毒者であり、犯行時は、飲酒酩酊により自己統制力の減弱を招くと同時に慢性覚せい剤中毒の症状を急激に憎悪させて犯行に及んだ」旨の鑑定結果が出され、右殺人については不起訴処分とされたが、覚せい剤の使用の罪で起訴されて懲役刑に処せられた。被告人は、昭和五七年三月から昭和五九年一月まで三重刑務所で服役したが、その間、独語、空笑、放歌等の異常言動があったため、昭和五八年二月、岡崎医療刑務所に移送され、覚せい剤中毒又は精神分裂病の疑いの診断で治療を受け、同年六月、寛解したとして三重刑務所に戻されたものの、その後も幻聴を訴えて投薬治療を受けた。出所後、被告人は覚せい剤の使用をやめるようになったが、飲酒は続け、新聞拡張員の仕事をしていた昭和五九年三月七日、同僚らが飲酒している席で、同僚の一人から生活態度等について罵倒されたことに激昂して、果物ナイフで右同僚の脇腹付近を突き刺すという殺人未遂事件を起こし、捜査段階において、「被告人は、爆発性性格を基本とする精神病質者(性格異常者)であり、犯行時は、多少の酩酊下にあったが異常酩酊ではなかった。酩酊下になくても性格の爆発性から犯行が発生する可能性があり、犯行時、被害者の罵倒が被告人の爆発性を刺激した公算が大きい」旨の鑑定がされ、判決においても、右犯行は、被害者の言動に触発されて爆発性性格から衝動的に敢行されたもので動機も了解可能であるとして完全責任能力が認められ、懲役四年に処せられた。被告人は、右刑により、昭和六〇年一一月から昭和六三年一二月まで府中刑務所で服役した後、札幌市内、神奈川県内、東京都内及びその周辺部等で新聞拡張員、自動車組立工などの仕事を転々とし、平成二年一月中旬ころから、東京都内で新聞拡張員として働いていたが、この間の平成元年一〇月ころから、都立松沢病院精神科を受診し、「誰かに追われている。」「何か陥れられているような感じがする。」などと訴えたことから、覚せい剤精神病の病名で不定期に通院治療を受けていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成二年三月九日午後七時半ころ新聞拡張員の仕事を終えた後、品川駅のホーム上で、偶然A子(当時二三歳)と目が合ったことから、同人に話し掛けたところ意気投合し、一緒に山手線電車に乗って池袋駅で下車し、コーヒーを飲んだりしながら、同人から職場のボーリング大会のこと、同人に恋人がいないこと等の話しをするうちに、同人と付き合いたいという気持ちになり、翌一〇日にも会う約束をし、その夜は、タクシーで同人を送り届けた後、帰宅した。被告人は、翌一〇日は新聞拡張の仕事はせずに、雇主から給料の前借りをし、同日午後五時ころ、池袋駅付近で右A子と待ち合わせた上、東京都豊島区《番地略》株式会社甲野池袋店(以下、「ビアホール」という。)に行き、ビール中ジョッキ一杯及び小ジョッキ六杯を飲み、同人はジュースを飲んだが、その際、同人は、被告人の出身地、仕事内容などを何度も繰り返し尋ねたりしたほか、自分が「エホバの証人」の信者であることを話したり、輸血を拒否する旨の記載のあるカードを示したりしたことから、被告人は、同人の態度に漠然とした不審感と不快感を抱くようになった。被告人と右A子は、同日午後六時三七分ころ右のビアホールを出て、同人の誘いで映画館に入ったが、間もなく、被告人が、暗い所にいることに不快感を示すなどしたことから映画館を出て、同日午後七時二〇分ころ、同区《番地略》パブ乙山(以下、「パブ乙山」という。)に行き、被告人は、ビール小瓶五本を飲み、右A子はジュースを飲んだが、その際、被告人は、相客の男女が踊っている間に割り込んで女性に声を掛けたり、座っている相客の女性の肩に手を掛けてしつこく踊りを誘って店員に注意されたりするなどしていたほか、右A子の横に座って同人を抱きしめるなど極めて親密な行動をし、同人は、特に、これを拒絶するような態度は示さなかった。そして、同人は、被告人に対し、今日は遅くなってもよいと言ったことから、被告人は、同人をホテルに誘い、同店を出てラブホテルを探したがいずれも満員で入室できず、一〇軒くらい回った後の同日午後九時五分ころ、同区《番地略》のホテル丙川(以下「ホテル丙川」という。)二〇二号室に入室したところ、同人の言動に憤激し、同日午後九時三〇分ころから午後一〇時ころまでの間、やにわに、衣服を脱いで同室内のベッド上に立っていた同人の顔面を多数回手拳で殴り付け、更に、床上に逃れた同人を仰向けに押し倒して馬乗りになり、その顔面を手拳で滅多打ちにするうち、飲酒の影響もあって同人に対する憤激が極度に高まるとともに嗜虐的欲望も加わり、殺意をもって、同人の頚部を両手で強く扼し、よって、そのころ、同所において同人を扼頚による急性窒息により死亡させて殺害した。

(証拠の標目)《略》

(争点に対する判断)

一  殺人の実行行為性、殺意及び扼頚行為と被害者の死亡との間の因果関係について

弁護人は、<1>被告人が被害者の顔面を殴打し、その頚部を扼したことは、その程度は別として、事実であるが、右行為は、被告人が過去の覚せい剤使用及び大量の飲酒の影響から、何者かに付け狙われているとの妄想を抱き、被害者が自分を付け狙う一味ではないかと考え、これを追い払う目的をもって半ば無意識的に行ったものであって被害者を殺害する意図に基づくものではないから、殺人の実行行為とは評価できない、<2>被告人には、被害者を殺害する動機がないことや扼頚行為に至る経過に照らしても、被告人には被害者に対する殺意がない、<3>被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係についての検察官の立証が不十分である旨主張する。

1  しかしながら、後述するとおり、被告人が被害者の顔面を殴打し頚部を扼した際に、被告人が何者かに付け狙われており被害者はその一味であるとの確固たる妄想を抱いていたかどうかは極めて疑わしく、仮に、被告人がこのようなことを考えていたとしてもさほど切迫性のない漠然としたものに止まり、右顔面殴打及び扼頚は、爆発性、意志欠如性、情性欠如性を主徴とする人格障害者である被告人が、酒の酔いの影響により抑制がとれた状態で、被害者の言動に対し爆発的に憤激して行ったものと認めるのが相当であるから、弁護人の右主張は、まず、その前提を欠くというべきである。

2  また、被害者の頚部を扼したことは被告人自身認めるところであるが、判示のとおり、右扼頚行為は、仰向けに押し倒した被害者に馬乗りになるというものであって、被告人の体重を両手にかけることにより強度の圧迫を加え得る姿勢で行われており、医師鈴木裕子ほか一名作成の鑑定書によれば、被害者の頚部には骨折は認めないものの表皮剥奪及び軟部組織内出血が認められること、死体血が暗血色流動性で、諸臓器においては出血があったと認められ、鬱血は強度ではないが概ね鬱血性であること、被害者には右のほか鼻骨骨折や多数の皮下出血があるが、いずれも死因となるようなものではないこと等から、死因は急性窒息と考えられ、右は扼頚による可能性が考えられるとしている。右の事実関係によれば、被害者は、被告人の判示の扼頚行為により窒息死したものと認められ、また、扼頚の程度も相当強いものであったと推認される。

3  そして、扼頚行為はそれ自体人の生命に直接危険を及ぼす行為であること、被告人は、判示のとおり、憤激が極度に高まる中で右2のような扼頚行為を被害者が死亡するまで行っており、関係証拠を子細に検討しても、その間被告人が逡巡したような形跡もないことから、被告人には、遅くとも扼頚行為の時点においては、被害者に対する確定的な殺意が生じていたものと認められる。

二  被告人の責任能力について

弁護人は、被告人には覚せい剤の使用歴があり、一時はかなりの量の覚せい剤を使用しており、かつて、覚せい剤使用の影響で殺人を犯しながら心神喪失を理由に不起訴処分になった前歴もあるところ、被告人は、事件当夜の大量の飲酒によりいわゆるフラッシュバック状態となり、何者かに付け狙われており、被害者はその一味であるとの妄想を抱き、かつ、ホテル丙川二〇二号室内においては、壁に人の顔の幻視を見るという状態で判示の顔面殴打及び扼頚行為に及んだものであるから、被告人には、当時、行為の是非を弁別する能力が欠けていた旨主張するので、以下、この点について検討する。

1  妄想等の存在を窺わせる事情について

(1) 判示のとおり、被告人は、昭和五〇年暮ころ札幌のストリップ劇場に勤めていたころから覚せい剤の使用を始め、昭和五六年九月に面識のない女性のアパート居室に乱入して同人を刺殺する事件を起こすまで覚せい剤を連用しており、右殺人事件については、被告人は慢性覚せい剤中毒の状態にあり、飲酒酩酊により自己統制力の減弱を招くと同時に慢性覚せい剤中毒の症状を急激に増悪させて犯行に及んだとの鑑定結果が出され、結局、不起訴処分とされ、覚せい剤の使用について懲役刑に処せられたこと、右刑の服役中も異常言動があったため昭和五八年二月から医療刑務所で覚せい剤中毒又は精神分裂病の疑いで治療を受け、同年六月に寛解したとされた後も幻聴を訴えて投薬治療を受けたこと、被告人は、昭和五九年一月に出所して以降は覚せい剤を使用していなかったが、飲酒は継続し、平成元年一〇月ころ、「誰かに追われている。」「何か陥れられているような感じがする。」などと訴えて都立松沢病院精神科を受診し、覚せい剤精神病の病名で不定期に通院治療を受けていたことが認められるところ、関係証拠によれば、覚せい剤精神病の症状である幻覚、妄想等の症状を呈していた者が覚せい剤の使用をやめれば、通常は右の症状は治まるが、覚せい剤の使用期間、量等によっては、使用をやめた後もいわゆるフラッシュバックの状態となって右の症状が現れることもあり、特に、飲酒がその引き金になることが多いとされていることが認められる。

(2) また、被告人は、捜査段階及び当公判廷において、本件犯行に至る経過及び犯行状況に関して、概略、以下のような供述をしている。

被告人は、かねてから何者かに付け狙われているという感じがして恐怖感を抱いていたところ、犯行当日、ビアホールでビールを飲みながら被害者と色々話をした際、被害者が、出身地や住所等を繰り返し尋ねてきたので、被害者が自分を付け狙う一味ではないかと考えるようになり、ビアホールを出た後映画館に入ったものの、少したってから、不安を覚え、「なんでこんな暗いところへ俺を連れてくるんだ。」などと被害者に文句を言い、途中で映画館を出て、パブ乙山に二人で入りビールを飲んだが、その際も、被害者が自分を付け狙う一味ではないかとの疑いが心から離れずにいた。そのような折りに、被害者が「今日は遅くなってもいい。」と言ってきたため、被告人は、知り合って二日目の女性が誘いをかけてくるのはおかしいと考え、被害者が自分を付け狙う一味ではないかとの疑いを強め、右の疑いをはっきりさせるため、被害者とホテルに行くこととし、池袋のホテル街で何軒か満員で断られた後、判示のホテル丙川に入った。同ホテルの二階の部屋で、少し話をしていると、部屋の壁に人の顔が四、五人映ったので、そのことを被害者に話したり、自分を付け狙っているのではないかと尋ねたりしたが、被害者は笑って取りあわず、そのうち服を脱いで全裸となり、ベッドの上に立って「アー」とか「スー」とか言っていた。これに対し、被告人は、騙されるものかと思い、服を脱がないままベットに上がり、「何で俺を付け狙うんだ」と何度も言いながら、被害者の顔面を拳で何回も殴り、ベッドを降りた被害者を床の上に仰向けに押し倒してその上に馬乗りになり、更にその顔面を殴り続け、そのうち両手で被害者の首を絞めていた。被害者の顔面を殴ったり、首を絞めた際、被害者に怒りを感じたということはなく、まったく無意識的にやってしまっていた。

(3) 更に、関係証拠によれば、本件犯行後、被告人は、以下のような行動をとったことが認められる。

ア 本件犯行後、ホテル丙川二〇二号室内において、映画のパンフレットに、「このオレをねらうやつ/はだれだ、出てこい/天国山は俺を、だれだ/天国山に光を この俺を/さがすやつはだれだ/なにこのオレを 殺す/だと、/天国山になんだ」と黒色と緑色のボールペンで書き付け、これを室内に遺留した。

被告人は、その理由について、被害者を風呂場に運んだ後、自分を付け狙う一味がやって来ると思って待っていたが来ないので、一味がやって来た時に読ませようと思った旨供述している。

イ 平成二年三月一二日、香港へ渡航して同月一八日に帰国したが、そのころ、実母B子に、付け狙う奴を追って出国したが会えなかった旨の手紙を書いて送った。

被告人は、この行動について、かつて路上で中国人らしき者と揉めたことがあったことから、自分を付け狙う一味は中国系統の者であると思い、香港まで一味を探しに行った旨供述している。

ウ 同月二六日、都立松沢病院精神科を受診し、追跡妄想、注察妄想等を訴えて入院を希望したため、同日覚せい剤精神病の診断病名で任意入院し、投薬治療を受けた。右妄想等の訴えには切迫感がなく、入院中は身勝手な要求や外出中の飲酒等の問題行動が頻繁に見られるなど、本当に治療を受けたがっているか疑問となるような状況であった。結局、女性患者と交際する時間を確保するために病院の外出時間を調整せよとの要求が受け入れられなかったのを不満として、同年四月七日、自分の方から退院した。

また、同年八月九日及び同月一一日の二回にわたり北海道大学医学部附属病院精神科神経科を受診し、誰かに付け狙われているなどの訴えをした。診断病名は、妄想状態(覚せい剤中毒)とされた。

2  妄想等の存在と矛盾する事情

(1) 関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

ア 被告人は、犯行当日、ビアホールを出る際、被害者の肩を抱き寄せるようにしており、パブ乙山にも被害者を抱くようにして入って来て、店内でも、被害者の体にベタベタ触り、手の甲や首筋にキスをしたりするなど親密な行動をとっていた。また、被告人は、同店内で踊っていた相客の男女の間に割り込んで行き、踊りながら女性客の方に声を掛けたり、テーブルについている女性客の肩を抱くようにしてしつこく踊りを誘って店員に注意されたりした。

また、被告人は、パブ乙山を出た後、被害者とともにホテルの空室を探して歩き、一〇軒位で断られた後にホテル丙川にやって来て、当初は宿泊を希望したが、従業員から休憩なら空いている旨言われ、被害者も「休憩でいいじゃない。」と言ったため、休憩ということで入室することとした。被告人は、料金三五〇〇円を支払い、被害者の肩を抱くようにして指定された二〇二号室に向かった。

イ 被告人は、本件犯行後の同日午後一〇時五〇分ころ、ホテルの従業員から休憩時間が切れる旨の電話を受けたのに対して休憩時間の延長を希望し、右延長時間も切れて同日午後一一時四〇分ころ、従業員から再び電話がかかった際には宿泊への切替えを希望し、従業員が部屋まで宿泊料金を受け取りに来たときには、ノックされる前にドアを開けて戸口に出てそこで宿泊料金を支払った。また、翌一一日午前零時一〇分ころ、被告人は、フロントで一〇〇〇円札の両替をしてもらい、その後五分ほどして再びフロントに現れてビールを買おうとしたが、その際、従業員から部屋までビールを届けるので部屋で待っているように言われても、これを渋るような態度をとり、他の客の迷惑を慮った従業員から重ねて部屋で待つよう言われ、やむなく部屋に戻った。従業員が部屋までビールを届けると、宿泊料金の支払時と同様に、ノックされる前にドアを開けて戸口に出ていた。

ウ 同日午前一時三〇分ころ、被告人が一人でフロントに現れ、「連れは風呂に入っている。」と嘘を言って帰ろうとした。これに対し、従業員が二〇二号室に電話したが誰も出なかったため、被告人一人で帰ることを拒んだところ、被告人はいったん部屋に戻ったものの、すぐ後に、従業員に電話で「何で帰さないんだ。」などと文句を言った後、一、二分もたたないうちにフロントに現れ、「ドアを開けろ。」などと大声を出して執拗に帰ろうとしたので、従業員も根負けして、被告人をホテルの外に出した。

エ 被告人は、ホテル丙川を出た後、同ホテル近くにいた男娼に声を掛け、料金の交渉をし、同日午前一時四五分ころ、男娼と一緒にホテル丙川付近のラブホテルであるホテル丁原に入り、男娼と性交類似の行為をした。ホテル丁原の室内における被告人の態度は浮き浮きした感じで、従業員に口づけの真似をした。男娼は同日午前二時過ぎころ帰ったが、被告人は同日午前四時過ぎころ従業員から電話で帰るよう督促されたもののこれに応ぜず、同日午前五時過ぎころ従業員から直接「事件があったから。」などと言われてようやく同ホテルから出て行った。

オ 被告人は、犯行現場に当日着用していた眼鏡を遺留したが、同年五月末又は六月初旬に、右眼鏡を作った株式会社戊田メガネの札幌そごう店に電話をかけ、眼鏡のフレームの記号及び番号の意味や自分がどこでどんな眼鏡を作ったかはどうすればわかるのかなどと質問し、応対した社員が、同社で作ったのであれば購入時に顧客に渡してある記録カードの番号がわかれば同社で管理している顧客のデータで分かる旨の回答をするや、執拗に右記録の抹消を要求した。その際、被告人は、抹消を求める理由として、息子に、そのような記録を残しておくものではないと怒られたなどと、嘘をついた。

(2) 右アで認定した被告人の被害者に対する親密な態度、パブ乙山における奔放といえる行動は、被害者を被告人を付け狙う一味であると真剣に疑い、この点をはっきりさせるためにホテル丙川に入った者の行動とはまったくそぐわないものというべきである。そして、右イで認定したホテル従業員に対する被告人の応答は極めて正常なもので何ら不自然な点はなく、また、従業員がビールを部屋に届ける旨告げるとこれを渋るような態度をとったり、従業員が部屋を訪ねるたびに予め戸口まで出ていたなどの行動は、被告人が、犯行を従業員に察知されることを回避するための警戒的なものと推認され、更に、右ウで認定したように、宿泊に切り換えておきながら、被害者は風呂に入っている旨嘘をついて一人で帰ろうとし、これが受け入れられないとなるや、今度は押問答をしてしゃにむにホテルから出て行ったことも、犯行現場から立ち去りたいとの気持ちからと推認されるのであって、いずれもまことに事態相応の行動というべきであり、右エで認定したホテル丙川を出てホテル丁原に赴き更に同ホテルから出て行くまでの被告人の言動をも併せ考慮すると、被告人が右の妄想に支配されていたとは考えにくい。そして、右オで認定した眼鏡の記録の抹消の要求は、やりとりの内容に照らして、現場に遺留した眼鏡から追及が自分に及ぶことを恐れたための犯跡隠蔽工作であることは明らかであり、この点からみても、被告人は、自己の犯行の意味を明確に認識していたものと考えられる。

(3) 更に、右の妄想等に関する被告人の供述自体、以下のような変遷をした後、前記1の(2)のような供述に至っている。

ア 逮捕後、平成二年九月一三日までの取調べにおいては、被告人は、ホテル丙川に入室後も被害者が自分を付け狙う一味ではないかとの疑いを持っており、被害者が服を脱いでベッドの上に立っていたときに、無意識的に被害者を殴打していた旨供述するに止まり、医師中谷陽二の鑑定に際して行われた同年一一月一日の拘置所における面接でも、ほぼ同様の供述をしていた。

イ 同鑑定における同月八日の面接において、被害者を殴る前に自分を付け狙う一味ではないかと問い詰めなかった理由を追及された際には、わからないなどと言葉を濁していたが、同月一五日の第二回飲酒試験の際には、ホテルの壁に写った何人もの奇妙な人間の顔に取り囲まれて怖くなって被害者に殴り掛かり首を絞めたと供述して初めてホテルの壁の幻視について言及し、同月一六日の面接においては、壁の顔は被害者に暴行を加えた後も見え、話しているのか笑っているのかゴチャゴチャ言っている何人かの声のようなものが聞こえたと右幻視の内容を具体化する供述をし、同年一二月一八日の拘置所での面接においては、壁の顔は見えたり消えたりしていたと、供述を更に具体化させている。

ウ 医師徳井達司の鑑定に際して平成三年二月五日、同月一二日及び同月一九日の三回にわたり行われた問診においては、最初は、被害者を殴り付ける前には特に被害者を問い詰めたり、幻視のことを話したというような供述はしていなかったが、第三回目の問診の際は、ホテルの部屋に入って被害者と少し話をした際、壁に人の顔が映っているということを話したことは覚えており、これに対し、被害者は何を言っているのよと言ったかも知れない、その後よく聞き取れない男の人の声が聞こえたなどと供述した。そして、被告人は、医師福島章の鑑定に際して行われた平成四年七月一三日の面接において、人の顔の幻視はパブ乙山でも見えた旨更に供述を変遷させている。

エ また、被告人は、右の徳井鑑定の第一回目の問診では、被告人を付け狙う一味は警察関係であるというようなことを言っていたが、第二回目の問診で香港へ行った理由を追及されると、一味はチャイナ系統ではないかと思っている、最初に述べた警察との関連では、中国から来たり帰化した人が沢山おりそれが警察と関係があるなどと、なお警察との関連にこだわる供述をし、第三回目の問診では、新宿のゴールデン街でチャイナ系統の人間と肩がぶつかった、ぶつからないで口論したことがありその後もずっとこれが気になっていたなどと供述するに至った。

(4) 右の供述の経過から明らかなとおり、被告人は、自分が付け狙われているとの感じを抱いていたこと自体については当初から供述していたものの、付け狙う一味については、当初の警察関係であるとの供述から中国系統の者であると供述を変遷させ、中国系統の者であると考える理由についても供述を変遷させている。また、被告人は、幻視については、当初はまったく言及していなかったのに中谷鑑定の途中から突然訴えるようになり、その具体的内容も供述のたびに変化していっている。

右の点について、中谷鑑定及び中谷陽二の証言においては、被告人の幻覚や妄想についての訴え方は、一貫性がないこと、具体性がなく非常に漠然としていること、質問につられて答える傾向があることから、精神科の臨床経験からすれば、実際に訴えるとおりの幻覚や妄想があったとは考えにくく、少なくとも、幻覚については、それが真実存したのであれば当初から訴えたはずであることから、犯行当時は存在しなかったものとされ、医師福島章の鑑定においても、幻視の発現時期に変遷があるほか、精神病理学的にみると、表現が曖昧で記述が流動的であり、実際に体験した幻覚様体験であるとの印象が弱いとされている。右の事情に加え、判示のとおり、被告人には、過去に殺人事件で覚せい剤精神病の症状を訴えて不起訴となった前歴があり、その意味で、本件犯行についても、すべてを妄想等のせいにして自己の刑責を免れようとする動機も考えられることからすると、右1の(2)の被告人の供述中、妄想、幻覚に関する部分のすべてが真実本件犯行当時に存在していたと考えることはできない。

3  妄想、幻覚の有無、程度等についての判断

右1でみたところに照らすと、本件犯行当時、被告人が過去の覚せい剤精神病の残遺状態にあり、それが飲酒の影響などで活発化し、その結果、被告人が何者かに付け狙われているのではないかとの不安感を抱いた可能性は否定できないものの、右2でみた本件犯行前後の被告人の事態相応の行動、妄想、幻覚等についての被告人の供述態度等をも併せ考えると、右の不安感には切迫感がなく漠然としたものに止まっているのであり、少なくとも、ビアホールを出るころから被害者が自分を付け狙う一味ではないかとの確固たる妄想を抱き、被告人がこの妄想に支配されたり直接に動機付けられて本件犯行に及んだものとは考え難く、かつ、幻覚も存在しなかったものと解するのが相当である。中谷鑑定及び福島鑑定においても、被告人が幻覚、妄想に支配され、あるいは直接に動機付けられて本件犯行に及んだことを否定する点では一致している。

そして、以上検討してきたところによれば、前記1の(3)のアの映画のパンフレットの記載内容も、結局、被告人が犯行直後種々思いを巡らすうちに、犯行を妄想等のせいにしてしまいたいとの願望から、それがあたかも犯行当時もあったかのように装うか、そのように信じ込むかして記載したものと考えられ、同イの香港への渡航及びその経過に関する実母への手紙についても同様に考えるのが相当である。更に、同ウの精神科への受診、入院については、当時の被告人の言動自体から、その追跡妄想様の訴えが確固たるものではなかったと考えられるのであり、右の判断を何ら左右するものではない。

4  本件犯行の動機等について

(1) 中谷鑑定、徳井鑑定及び福島鑑定のいずれにおいても、被告人には爆発性、意志欠如性及び情性欠如性を主徴とする人格障害(精神病質)が認められるとするところ、各鑑定部分の基礎となった各種性格検査、心理検査の手法及び診断過程には特に疑問を差し挟むべき点はなく、かつ、被告人の生活歴、前科・前歴の内容ともよく符合しているのであり、右判断過程に弁護人が主張するような恣意性は認められない。

(2) 更に、福島鑑定においては、構成的文章完成法、HTP描画テスト、ロールシャッハテスト及びMAPSなどの心理検査の結果から、被告人には、性的倒錯傾向、特にサド・マゾヒズム傾向が認められるとしており、右心理検査の手法及び診断過程にも特に疑問を差し挟むべき点はない上、判示の不起訴になった殺人事件において被告人が殺害した被害者の乳首を切り取るなどしており、関係証拠によれば、被告人は、本件犯行後も被害者の乳首を噛んで傷つけているほか、陰部にリンスの容器を突っ込んで裂傷を生じさせていることが認められるなど嗜虐的ないし猟奇的な行動をとっていることからも右診断の的確さが裏付けられていると考えられる。

(3) 次に、被告人は、判示のとおり、犯行当日、多量のビールを飲んでおり、関係証拠によれば、その量は、同日午後五時ころから午後九時ころまでに合計で約五六三〇ミリリットルに達していることが認められる。

そこで、本件犯行当時の被告人の酩酊度をみるに、中谷鑑定においては、二度の飲酒試験が行われたものの、二回の試験を通じて、被告人に一見して演技であることを窺わせるような興奮や奇異な言動が目立ち、被告人の示す興奮や異常な言動の程度が血中アルコール濃度の増減と反比例したりするなどその間に合理的な相関関係を見出せず、かつ、異常な興奮状態を示していたにもかかわらず、検査場面から解放するとその直後に平静に復したこともあったこと等から、被告人が試験において異常酩酊を装った可能性が高いとして、結局、飲酒試験の結果からは犯行当時の被告人の酩酊状態を推定することは困難であるとされている。

一方、福島鑑定においては、中谷鑑定の飲酒試験の結果及び過去の事件について行われた飲酒試験の結果から推定される被告人の血中アルコール量の増減傾向(ただし移行率及び減退率は不明)と前記2の(1)で認定したような本件犯行前後の被告人の言動、被告人自身の供述においても犯行当日の午後一一時から翌日の午前零時ころまでの間を除いては犯行状況を含めて概括的な記憶が保たれていること等の事情を総合し、判示の犯行時刻ころ、被告人が病的酩酊はもとより複雑酩酊の状態にもなかったことは明らかであるが、他方、パブ乙山での被告人の抑制のとれた行動等からすると、軽度の酩酊状態にはあったものと判断されている。そして、右の福島鑑定の結果は、その基礎となった資料の取捨選択・評価及び推論過程に特に疑義を差し挟むべき点はなく、合理的なものとして是認できる。

(4) 被告人は、本件犯行当日、被害者がビアホールやパブ乙山で、被告人の住所、職業等について同じことを繰り返し質問してきた旨供述するところ、関係証拠によれば、被害者は、昭和六三年夏ころから、誰かが自分を殺そうとしていると口走ったり、母親と弟が肉体関係を持っていると決めつけて母親を面罵するなどの妄想様の言動をするようになって精神科を受診させられ、精神分裂病の診断病名で投薬治療を受けるようになり、以後、薬を飲んでいる間は右の妄想様の言動はある程度収まったが、犯行当日及び前日は薬を飲んでいなかったことが認められ、右の事実関係からすると、本件犯行当日、被害者は右の症状の影響のもとで、被告人の住所、職業その他被告人があまり触れられたくないようなプライバシーについて過度の関心を抱き、被告人が立腹するほど繰り返し質問してきたことは十分あり得ることであり、その限りで被告人の右供述部分は事実であったと考えられる。そして、右にみたことからすれば、ホテル丙川の室内においても、被害者が、ホテルまで一緒に来たという親密感も加わり、更に同様の質問をしつこく繰り返し、被告人の憤激を引き起こしたことが容易に推認されるところである。

(5) 以上(1)ないし(4)で見てきたところに福島鑑定の結果をも総合すると、本件は、もともと爆発性、意志欠如性及び感情欠如性を主徴とする人格障害者で、感情的に刺激され易い傾向を有していた被告人が軽度の酩酊状態にあって抑制がとれた状況にあったところに、被害者が、パブ丙川等でしたと同様の被告人の職業、住所等に関する質問のほかプライバシーに係わる事項その他被告人が触れられたくない事項についてもしつこく質問するなどしたため、被告人の爆発的な憤激を引き起こし、被告人が右の憤激により被害者に対して顔面殴打等の暴行を加えるうちに、その憤激が相乗的に高まって行くとともに、被害者の凄惨な出血等の状況に嗜虐的で倒錯した欲望も加わって、ついに判示の扼頚行為に及んで被害者を殺害し、その後、被害者を風呂場に運び、乳首を噛んで傷付けたり、陰部にリンスの容器を突っ込んで裂傷を生じさせる等の猟奇的ともいえる行動にまで至ったものと解される。

これに対し、中谷鑑定においては、被告人には覚せい剤の残遺症状があること、本件犯行が何ら葛藤関係にない相手に対する突然の暴力であること及び攻撃の激しさからは高度の爆発的興奮が推察されることからすると、人格障害及び飲酒のみではなく、覚せい剤精神病の残遺症状としての過敏性・刺激性も複合的要因として作用したものであるとしている。しかし、前記3認定のとおり、本件犯行当時、覚せい剤精神病の残遺症状があったとしても、これによる妄想は確固たるものではなく、被告人が、右妄想に支配され又は直接的に動機付けられて本件犯行に及んだことは否定されるのであり、右の覚せい剤精神病の残遺症状はその程度のものに止まっていたものというべきである。そして、前述のとおり、本件犯行の動機、攻撃の激烈さ、高度の憤激等については、覚せい剤精神病の残遺症状としての過敏性、刺激性を主要な要因として考慮にいれなくとも、十分これを解明できるのみならず、犯行直後の前記の猟奇的ともいえる行動は覚せい剤精神病の残遺症状としての過敏性・刺激性を主要な要因として被害者を殺害した者の行動としてはそぐわないものがあることからすると、右の中谷鑑定の結果は、たやすく採用できないというべきである。

5  本件犯行当時の被告人の責任能力

以上検討したところによれば、本件犯行は、爆発性、意志欠如性及び感情欠如性を主徴とする人格障害(精神病質)者である被告人が、軽度の酩酊状態にあって抑制がとれた状態で、被害者の言動に爆発的に憤激してその顔面殴打の暴行に及ぶうちにその憤激が極度に高まるとともに、倒錯した嗜虐的欲望も加わって、被害者の殺害にまで及んだものであり、前記認定の被告人の犯行前後の行動内容、本件犯行状況及びその前後の記憶及び見当識等をも総合すると、被告人は、本件犯行当時、自己の行為の是非を弁別しこれに従って行動する能力を欠いた状態でなかったことはもとより、右能力が著しく減退した状態にもなかったものと解するのが相当である。

三  結論

以上の次第で、弁護人の主張はいずれも失当であるから、採用しない。

(累犯前科)

被告人は、昭和五九年一〇月一一日東京地方裁判所で殺人未遂罪により懲役四年に処せられ、昭和六三年一二月三日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役一三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が犯行前日に知り合った被害者とラブホテルに行った際、ホテルの室内で突然、被害者の顔面を手拳で多数回殴打し、逃げる被害者を追いかけて床の上に仰向けに押し倒し、その上に馬乗りになって更に顔面を手拳で多数回殴打した上、両手で頚部を絞めて窒息死させたというものであるが、その犯行態様はまことに執拗かつ残虐であり、被害者の顔面は生前の面影を止めないほどに腫れ上がり、犯行現場であるホテルの室内のベッド上や壁面の鏡にはおびただしい血痕や血液の飛沫が付着しているなど酸鼻の極みというほかない。そして、被告人は、犯行時軽度の酩酊状態のもとで脱抑制状態にあったとはいいながら、生来の爆発性、情性欠如性の性格のおもむくまま被害者の言動に対し突如憤激して判示の激烈な攻撃に及び、これに倒錯した嗜虐的な欲望も加わって被害者を扼殺し、しかも、犯行後、被害者を風呂場まで引きずり、その乳首を噛んで傷つけたり、陰部にリンスの容器を突っ込んで裂傷を負わせるなどの猟奇的な行為に及んで遺体を更に凌辱しているのであって、動機に何ら酌量すべき余地もなく、事後の犯情も悪質である。このような犯行により、自分の身に何が起こっているか理解できないままに、激しい暴行を受け頚部を絞められた被害者の驚愕と恐怖は測り知れず、二三歳という若さでその生命を断たれた被害者の無念さ及び遺族の悲嘆は察するに余りある。しかるに、被告人は、自己の犯した罪を直視することなく、これを前述のとおり犯行当時は存在しなかったか、あったとしても漠然としたものに過ぎなかった妄想等のせいにして責任を免れようとするなど、本件犯行に対する真摯な反省の情を何ら示さないのみならず、被害者の遺族に対しても何らの慰謝の措置も講じていないのであって、当然のことながら、遺族の処罰感情には厳しいものがある。更に、本件犯行が、被告人の生来の爆発性、情性欠如等を主徴とする人格障害等が主因となって敢行されたもので、過去にも殺人未遂罪の前科のほか、不起訴処分となったとはいえ、覚せい剤の乱用による妄想状態における殺人事件を犯した前歴があることを総合すると、被告人には、人命を軽視する残虐な人格態度が顕著に認められ、再犯のおそれも否定し難い。

他方、本件犯行当時、被告人は、行為の是非を弁別し、これに従って行動する能力が著しく減退していたとまではいえないものの、右の人格障害に加え軽度の酩酊による脱抑制状態にあったことにより、通常人に比べて、右の能力がいく分かは減退していたと認められる上、本件犯行も偶発的なものであった等の情状もある。

そこで、以上の諸般の事情を総合考慮した上、主文のとおりの刑を量定した次第である。

(求刑 懲役一五年)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉本徹也 裁判官 戸倉三郎 裁判官 河本雅也)

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